Riin's Workspace: 読了:SOFT SKILLS ソフトウェア開発者の人生マニュアル
1回目に読んだ感想は「エンジニアリングの本というより自己啓発というか人生設計みたいな本」でしたが、
2回目に読んだ感想は「さらなる成長のための羅針盤のような一冊」でした。
ほとんど無意識だったけど専門分野絞った方がいいぞってのはこの本に影響されてたのかなぁ(もう覚えてない— 果物リン (@FruitRiin) April 22, 2020
単に面白いと自分が思うことを仕事にしたくて前職と今の職選んだ説あるけど
「専門分野を持つとチャンスの選択肢は減る一方で、そのチャンスを掴む可能性は高まるのだ」— 果物リン (@FruitRiin) April 22, 2020
まあ昇給が私の望みかというと必ずしもそうではないし、人によると思うけど— 果物リン (@FruitRiin) April 22, 2020
なんか本書における翻訳と日本における言葉の意味がなんかズレてるな。プログラマーの職業選択肢3つを会社員と独立系コンサルとアントレプレナーの3つに分けてるんだけど、独立系コンサルだと会社に入って経営を立て直す人みたいだからフリーランスの方がしっくりくる— 果物リン (@FruitRiin) April 22, 2020
「とあるCEOがいたとして、自分でプログラミングを学んでコードを書くこともできるが、その代わりにあなたを雇ってプログラミングをしてもらいたいと思うはずである。つまり、あなたが履歴書を良くしたいと思うならプロの履歴書ライターに履歴書を書いてもらうべきである」— 果物リン (@FruitRiin) April 22, 2020
「相手より一歩でも進んでいることについて教えてあげることができるならその点におけるメンターになれる」「指導しがいのある弟子をとろう。正しい資質と基本原則を持った人なら知識が足りなくてもいずれ成功する。そうでない人は世界中から助けを集めてもみを結ばない」— 果物リン (@FruitRiin) April 23, 2020
さりげに残酷じゃね
次の章燃え尽き症候群の直し方気になるうううけど今日はここまで— 果物リン (@FruitRiin) April 23, 2020
ルーチンの大切さはルーチンを自分で組んで回してみないといいぞって言われてもピンとこないんだよなあ— 果物リン (@FruitRiin) April 24, 2020
「なぜ我々は行動しないのか?それは怖いからだ。間違えることの恐怖、合格か不合格かを決められることの恐怖、変化の恐怖……。」「しかし、ほとんどの場合何もしない」より何かした方が良いことが起こる。「恐怖を克服することが重要だ」— 果物リン (@FruitRiin) April 24, 2020
ということで雑にピックアップ。「成功するためには、失敗を恐れないだけでは不十分だ。失敗を求めること、失敗すると保証されていることをあえてやることが必要だ」— 果物リン (@FruitRiin) April 24, 2020
再読といいつつ第5部と第6部については読み飛ばしました。
全体を通して感じたのは、自分がレベルアップしたことによって刺さるセクションが変わったなということ。
ブランディングの章も非常によいことが書いてあるのですが、これらについては自分で実践できていると自負するところ。
それよりも第3部「学び方を学ぼう」第4部「生産性を高めよう」が今の私には刺さるといった具合。
私は早速生産性を高めるためにTrelloからKanbanflowに引っ越してみました。今の所悪くなさそうです。(ついタイマーを推し忘れてしまうという問題がありますが)
さて、何よりそろそろ本腰を入れて意識したいのが「学び方を学ぼう」です。
キャリアもそろそろ5年目となることですし、サーバーサイド言語がPHPからRubyへと劇的に変わる中で、イマイチキャッチアップしきれていない自覚があります。
そこで、本書では「何を教材に学ぶかよく考えるべし」「とりあえず遊んでみるべし」「あそんだら更に勉強するべし」「遊びと学びを繰り返すべし」と説いています。
私に足りないのは遊びだったんだな!(逆にうまくいくときは遊んでいたときだった!)とはっとさせられました。
まあ、私にとっては遊びも仕事もさして変わらない……と言ってしまうと語弊がありそうですが、ある程度のまとまったコードベースがあって、解決したい課題が目の前にあって、それを解く任務があたえられたらそれはパズルを解くようなもので、つまり遊びみたいにワクワクする出来事だった、ということでもあります。
なので、今から新しい言語を読む時に退屈なチュートリアルをド頭からやるのは若干イケてなかったのかな?と思う次第でした。
フレームワークのチュートリアルは動くものが作れるのでまだいいんですけど、言語のチュートリアルはひたすらに退屈なんですよね……。
ある程度理解した上で改めて読むと知らない知識が補完されて面白いんですけど。
また、そろそろ自らが明示的にヨーダになる(メンターになる)時期がきたのかなと思いました。
記事の形で広く浅く伝えることはしていても、意識的に弟子として誰かを教えていたことは……前職時代がそうかな?
まあ、メンターといっても全てを教えてくれるだけがメンターの姿ではなく、「確かに側にいていつでも頼ることが可能なのだ」という安心感だけでもかなり違うのは自分も経験したことです。そういう意味では私もすでに誰かのヨーダなのかもしれません。
そうであるならば、これからも良きジェダイ・マスターたらんと有り続けようと思います。
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